Все счастливые семьи похожи друг на друга, каждая несчастливая семья несчастлива по-своему.ドストエフスキーの『アンナ・カレーニナ』は「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」(中村白葉訳)という一文だけの段落で始まっている。
クリニックを訪れる患者さんは、様々な愁訴をもって来院される。西洋医学的方法論に立つと、問診・診察をして、必要な検査をして、異常を認めなければ、「あなたは正常です」と告げることになる。しかし、これは先に挙げた不幸な家庭の方に、年収は平均以上、いいお宅にお住まいで、奥様はお美しく、お子様も健康で、優秀な学校にお通いになっている。お宅は決して不幸ではありません。」と諭しているようなものである。そのような矛盾は、専門医のときは、「私の分野では」という免罪符があるので、気にならなかったが、家庭医療を掲げて診療するようになって、無力さを感じることが多くなった。
そんな頃、浅岡クリニックの浅岡俊之先生の三回にわたる講演を拝聴した。用語混乱の元凶が翻訳にあるということ、漢方は体調を中庸に戻すという考えであること、四診の優先順位のことなどを伺い、目から鱗だった。その後も漢方に興味は持ちつつ、実践には至ってはいない。しかし、社会的にも、医療問題、食料問題、環境問題、健康格差などなど山積する課題の一解決策となる可能性を感じて、漢方を勉強してみようと思い立った。
そんな一内科医の学習の足跡としたい。
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